夕焼け色に染まりつつある空を見つめる少女が一人。少し桃色に帯びた髪は肩ぐらいまで長さがあり、風に乗ってそよそよと揺れる。そして、その少女が物憂し気に何かを呟く。  「あなたは、どこにいるの? 私の想いはあなたに届いているの? 私の気持ちなんて気にせずに、あなたは一体どこにいるのよ。手紙さえ通じなくなったら、あなたへの想いは二度と届かないじゃない。ねぇ……どこにいるのよ。ねぇ……」  その続きは語られず、頬を伝った一つの雫が床に落ちる。  「……お願い、だから。詩音(しおん)君……」  その呟きは誰にも聞こえず、また五時の合図である鐘の音でかき消される。  その少女の想いは、届くのだろうか。  古沢 由比(ふるさわ ゆい)。それが彼女の名前だ。クラスでは代議員に務め、皆からの頼まれごとを滅多に断らない事から面倒見が良い、また優しいとの評判がある。スタイルも良く、また異性からも同性からも人気がある。  「由比ー。宿題写さしてっ!」  そんな古沢に話しかけたのは、毎回古沢に頼みごとをしている香川 三春(かがわ みはる)だ。  彼女、香川は古沢との幼馴染で小さい時からの腐れ縁という。茶色く、またツインテールに髪を結って小柄である。その体型からか、良く年下の異性から告白されるというのは余談だが。  「もう、三春ったらまたぁ?」  これで何度目よ、と軽く香川に叱る。  「だってー。数学難しいんだもんっ。見ただけでもう……ダメっ!」  どうやら香川は数学が苦手らしく、あの複雑で長ったらしい数式を見るだけで頭から煙が出るとか。  「はいはい。分かったから、ほら」  やれやれと言った感じで古沢は数学のノートを机の中から取り出し、香川に渡す。  「ありがと、由比。この恩は絶対返すからね!」  「それも何度目よ……」  と古沢は呟く。そして、溜息をつく。  「由比、どうかしたの?」  「……なんでもないよ」  古沢は何かを隠そうとしているけれど、香川は勘が鋭いらしく、いきなり核心をついた。  「……まだ、手紙届かないの?」  「うっ……。そうだよ。もう、半年にもなるのに何でだろうね」  古沢は誰かと文通をしてるそうだ。しかも、相手に手紙を送ってから半年も返ってきてないそうだ。  「諦めなよ、由比。きっと新しい人が見つかるって」  「で、でも……」  「でも?」  「……私、まだ諦めてなんかいないし。それに、絶対いつかは手紙返ってくるもん。詩音君はそういう人だから」  古沢は詩音、という人と文通をしている。そして、詩音は手紙は絶対に返すと以前古沢に言って、古沢がその事を相談相手である香川に話した。人選間違えたかな、と古沢は少し思っているそうだ。  「はいはい。でも、詩音ってどんな人なのよ」  「えーとね、賢いし優しいし何でも真剣になってくれるし、それに約束は絶対に破らないし努力家だし……」  古沢は詩音君の性格を熟知しているらしく、彼の事となると饒舌さが増すのであった。それほど、彼の事が好きと見ても大丈夫だろう。  「うわー。そこまで知っているのか……」  彼の良い点について全てあげると、香川も少し引き気味になっていた。  「ま、私は由比の事応援してるから、頑張って」  「……うん、ありがと」  香川はそう言って自分の席へと戻った。  その次の授業は古文であるが、古沢は詩音の事を考えていたのか集中できなかった。  昼休み、香川は他の人と食事している中、古沢は一人寂しく弁当をちまちまと食べていた。  古沢は小食らしく、あまり食べない。だからなのか、体型は太ってもいなくて痩せてもいない。まさにベストスタイルである。  そんな古沢が食事をしていると。  「おい、名瀬(なぜ)。お前、告ったっていう噂が流れてるけどそうなのか?」  「いっ!? いつの間に流れてんの!? てかそれ、宮城(みやぎ)の仕業じゃねぇか!?」  「お前の幸せを聞いてるとこっちがむかつくから。それのお仕置きだ」  「それ完全に私怨混ざってないか!?」  古沢の前の方に座っている数人の男子生徒が喋っている内容が、古沢の耳に入っていた。  「で、どうなんだよ、名瀬。俺にも詳しく教えろ」  「なんで井口(いぐち)に教えなきゃいけないのさ。宮城から教えてもらえ」  「じゃ、全部言っちゃっても良いんだ?」  「ああ、ダメダメ! 畜生、袋小路じゃねぇか」  名瀬は落胆し、しぶしぶと言った感じで言い始めた。  「まぁ、相手はネットで知り合った人なんだけど、それがまた関東の方でさ」  「遠距離恋愛とはまた出来もしないことを」  「宮城はもう何も言うな! えっと、それでメアドを交換してメールしてたわけよ」  「それはいつの話だ?」  「えーと、それは確かちょうど去年の七月だったけな……」  「一年前かよ。で、続きを早く」  「なんかギャラリーが集まってきてるけど……まぁいい」  そして、名瀬は続けた。  「それで、メールをしててさ。色々と会話をしたりしてたよ。メールをしてみると楽しいし、電話番号を聞いて電話をしたりしてさ。で、その半年後の一月に思い切って告白してみたわけよ」  「それのメールはこの内容だぜ」  「おい、宮城! いつの間に携帯を!? てか暗証番号は!? ああ、もう、突っ込み多くて対処出来ねぇ!」  宮城は名瀬の携帯を取り、そのメール内容を皆に回していた。そして、誰かがこう口に出して言っていた。  「『晴香(はるか)。もうメールを始めてから半年にもなるがもっと晴香の事知りたくてさ。メールしてると楽しいし、電話をしていると盛り上がるし、俺にとって晴香は元気の源なんだよ。だから、俺がずっと元気でいられるよう、側にいてくれ』……」  「ちょっ、誰が許可したーーー!!!」  名瀬は顔を真っ赤にしながらも喚いている。  「岡崎(おかざき)もなんで読んだんだよ!? お前もこいつらの味方なのか? 俺には味方はいねぇのか!?」  「え、だって井口が読めって促したからだが……」  「いや、俺じゃないぞ。俺に催促したのは宮城だが」  「てめぇ! 俺、滅茶苦茶恥ずかしいんですけど!?」  「あー、ちょー楽し。名瀬って弄りやすー」  「くそー!」  「ん? 名瀬、木村(きむら)晴香から電話だ」  「!? ちょっ、岡崎早く渡せ!」  名瀬は岡崎から自分の携帯を取り返し、井口が声量を上げろと促す。  「……分かったよ、もうどうにでもなれだ」  諦めたのか、声量をあげて電話にでた。皆が固唾を呑む中、名瀬はこう言った。  「あー、晴香。なんだ、こんな時に」  『ごめんね。皆にバレちゃって、電話しろって友達が五月蝿いから……』  「あー、こっちも似たようなもんだ。で、何で電話してきたんだ?」  『えっと、その前に半年間もメール返さなくてごめんなさい。ああ言われたのも初めてだし、意味が分かるのに何日もかかったから』  「あ、そうなんだ」  『俊樹(としき)君、なんか安堵してない?』  「だって半年振りだし、色んな意味で今緊張してるんだが」  『あ、そうだよねっ。本当に久しぶりだね。元気にしてた?』  「勿論、ずっと元気にしてたよ。そういう晴香はどうなの?」  『私も元気にしてたよ。元気でよかった』  「そうだな」  と、次の瞬間。  『いい加減話進ませろ!』  このクラスの全員が、携帯越しに向こうの友達らが一斉にそう言った。  「あ、そうだったな……」  『あはは……。じゃあ、俊樹君。今から言うよ?』  「うん……」  誰かが喉を鳴らす音が聞こえたような気がした。古沢もちょっと興味があるのか箸が止まっており、また静かにしながらも教室の外には野次馬が出来ていた。そして、  『俊樹君、あのメールの返事だけど、その……私でよければ』  「っ!」  名瀬はぐっとガッツポーズを取った。そして、聞いていた人たちが拍手をした。  「ひゅーひゅー。やったじゃん、名瀬」  「おめでたー」  「末永くお幸せに」  井口が、宮城が、岡崎がそう言う。  そして、名瀬が言い出したと同時に拍手が鳴り止んだ。  「晴香、これからもよろしくな。俺が高校卒業したらそっちに向かいに行ってやるよ」  『! 待ってるよ、俊樹君! あ、ちょっと桜、携帯を取ってどうすん……』  「晴香?」  『あたしは晴香じゃない! 晴香の親友の四乙女 桜(しおとめ さくら)だ! 俊樹、と言ったな? 晴香を泣かせたら、どうなるか分かってるな?』  「その辺りの覚悟は出来てるぞ」  『そっちの近くにいるクラスメイトも聞いたな? 誰でも良いから近況をあたしに教えな。俊樹が何かをしでかさないように。晴香と俊樹を経由してメアド教えてあげるから。ほい、晴香』  『あ、うん……。ごめんね。あ、そろそろ授業始まるからまた放課後にメールするね』  「分かった。またな」  名瀬がそう言って、晴香が電話を切った。  「よし、井口に宮城。名瀬を胴上げだ!」  「いっちょやるか!」  「仕方ねぇな」  「あ、ちょ、待……うぉわ!」  クラスの男子生徒たちが名瀬を胴上げする。廊下に出来てた野次馬もちらほらと解散しつつあった。  「由比。名瀬って凄くない?」  香川が古沢の近くに来たのか、そんな事を言っていた。  「……うん。ちょっと羨ましいって思った」  そんな名瀬にとって嬉しいハプニングは昼休みが終わるまで続いた。  放課後。古沢と名瀬の二人は日直なので、教室に残って掃除をしていた。  「おめでと、名瀬君」  「あ、ああ……ありがと、古沢さん」  少し照れた感じで名瀬が答える。  「にしても、凄いね。あそこまでするなんて」  古沢は思った事を口に出して聞いてみた。  「まぁ、本気だからな。勇気と根性ありゃ、何でも出来るしよ」  「そんなのが、詩音君にもあったらなぁ……」  古沢がふと独り言のように呟く。  「……詩音? あの、阿藤(あとう)詩音か?」  名瀬はその呟きが聞こえたらしく、そう言った。  「っ! 名瀬君、詩音君の事知ってるの!?」  「知ってるも何も、幼稚園からの幼馴染だぞ。中学校の時に東北の方へ引っ越したとかなんとかで離れ離れになったけど、今でも連絡は取り合ってるぜ?」  「へ、へー。そうだったんだ」  初めて知る事実に古沢は驚愕する。  「詩音君、何か言っていた?」  「いや、何にも言ってないぜ。ただ、告られてどう答えたらいいかとかは聞いてきたけどさ。相手が誰かまでは分からんが」  「そうなんだ……」  名瀬は集まったごみをチリトリで取り、ゴミ箱に入れる。  「……古沢。もしかして、お前があいつに告ったりとかしてないよな?」  「ふぇ? そ、そんなことないよぅ……」  古沢は段々と尻すぼみになっていく。それだけで何か分かったのか、名瀬はそう言った。  「やっぱし。薄っすらとは感づいていたけど、成る程ねぇ」  「ん……? 名瀬君、どうかしたの?」  「いや、こっちの話。ああ、ゴミを捨ててくるから待っとけ」  「うん、分かった」  名瀬はごみが入った袋をゴミ箱から取り出し、袋を閉じる。そして新しい袋をゴミ箱に入れる。名瀬はその袋を持って教室から去った。  「詩音君……」  古沢はその間、空を眺めようと思って見始めた。  そして、冒頭に戻る。  「名瀬君、遅いな……」  いつもだったらもう帰ってくるのに、と古沢は思う。涙を指で拭いて、もう一度空を見上げる。  「……詩音君」  そう呟いた、直後。  「由比ーーっ!!」  「!?」  ドタドタと階段を駆け上る音が聞こえた。古沢は、一体誰に呼ばれたのか分からなかった。  (私、男友達に下の名前で呼ぶ人いたかな? いや、いないはず。なら、彼は……)  古沢は廊下に出て、こう叫んだ。  「詩音君っ!」  「由比! そこで待っとけ! ……」  彼が最後に呟いた言葉は声が小さかったため聞き取れなかったが、古沢は彼だと確信した。  (でも、一体どうやって? 彼は東北地方に行ったと名瀬君から聞いたけど)  「由比!」  現れたのは、汗をかいていて息を荒くしている長身な男子。ラフな服装で、顔立ちが良い。  「……詩音君、だよね?」  「ああ……。俺は、阿藤詩音だ。古沢由比、で合ってる、よな?」  息が乱れているため途切れ途切れでしか言えてない阿藤。  「うん」  「手紙返せなくてごめん! こっちにも色々と事情があったんだ」  「うん」  「返したいけど返せなかった。でも、由比の想いはちゃんと伝わった! 手紙で言うより会って言いたかったから、由比に会いにきた」  「だったら……電話番号教えてあげたのに」  「ダメだ! 電話では、ダメなんだ!」  何がダメなのかは知らないが、古沢はその威圧に押し負けた。  「うん……」  「由比。俺と、付き合ってくれ!」  阿藤は頭を下げた。  「……詩音君、それを言うのは私だよ?」  「違う! あの手紙を貰う前から、俺は由比を好きになっていたんだ!」  「そう……なの?」  「うん。だから、俺と付き合ってくれ!」  二回目の告白。誰もいないはずの校舎なのだが、少し残っていたのか何事かと出てきた人が数人いた。  「……詩音君、頭をあげて」  「え?」  阿藤は顔を上げて、古沢は阿藤に抱きついた。  「由比!?」  「詩音君、ありがと……。私も、詩音君の事、好きだから」  「……由比」  阿藤は古沢の頭を軽く撫でた。  古沢は、阿藤の胸の中で泣いていた。  (やっと……思いが届いた。詩音君に会えてとても良かったっ!)  パチパチと拍手が沸き起こったので、二人を我に返ってお互い離れた。すぐさま古沢は涙を指で払う。  「おめでとさん、二人とも」  「あ、名瀬! お前、ありがとな!」  拍手をしながら二人に近づいた名瀬に阿藤はそう言った。  「名瀬君? 帰ってくるの遅かったじゃない」  「この場をセッティングしたの俺だぜ? まぁ、阿藤がこうして欲しいって言ったからな」  「え? 詩音君?」  古沢は訳が分からなくなって、頭上にいくつものクエスチョンマークを浮かべているようだった。  「うっ……。頼れるの名瀬しかいなかったんだよ。これでも頑張った方だぜ?」  「そうなの? 詩音君」  「ああ。昼頃にこっちに戻ってきて、家の片付けし終えた後に名瀬から今すぐ今江(いまえ)高校来い、って電話来るから何かと思ったら絶好のチャンスを作ったとか何とか」  「そうなんだ……」  「そういう事だ。それで、お二人さんはこの後どうすんの?」  名瀬は二人にそう聞いた。  「じゃ、じゃあ俺と由比はちょっと遅めのデート行くわ」  「え!? 詩音君!?」  「大丈夫大丈夫、悪い奴ら来たらぜってぇ守ってやっから」  「……詩音君」  古沢はキュンとしたのか、頬を少し朱色に染めてそう言った。  「はいはい、分かったよ。二人はデートでも行ってろ。俺は晴香と電話しなきゃいけないからな。古沢、日直の残りは俺がやっとくぜ」  「ありがと、名瀬君。詩音君、ちょっと待ってて」  古沢は教室に入って自分の席に行き、荷物を持って廊下に出た。  「じゃ、行こっか。詩音君」  「ああ。またな、名瀬」  「名瀬君、また月曜日」  「おう!」  そう言って古沢と阿藤は教室を後にした。肩を並べて歩く姿はどこか初々しさを名瀬は感じた。  「……ったく、お似合いだっつうの。さて、残りの仕事やっか」  名瀬はそう呟き、一人で日直の仕事をした。  まだ、古沢と名瀬の恋愛物語は始まったばかりである。