『上毛かるた写真館』補足ブログ

『払い下げから復活、復元「高崎城址・東門と乾櫓」』補足
『高崎城東門の由来』案内板の引用
(リンク元更新日:2014.12.3)

 高崎城十六の城門中、本丸門(■門[トカ太注:■はくさかんむり(書かれていたのは真ん中が切れているくさかんむり)の下に隹])刎橋門、東門は平屋門であった。そのうちくぐり戸がついていたのは東門だけで通用門として使われていた。
 この門は寛政十年正月(一七九八年)と天保十四年二月(一八四三年)の二度、火災により焼失し、現在のように建て直されたものと考えられる。くぐり戸は乗篭が通れるようになっている。門は築城当初のものよりかなり低くなっており、乗馬のままでは通れなくなっている。この門は明治のはじめ、当時名主であった梅山氏方に払いさげられ、市内下小鳥町の梅山大作氏方の門となっていた。
 高崎和田ライオンズクラブは、創立十周年記念事業としてこれを梅山氏よりゆずりうけ復元移築し、昭和五十五年二月、市に寄贈したものである。
昭和五十五年三月  高崎市教育委員会
『高崎城東門の由来』案内板
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